追悼 歌舞伎昌三
12月9日 舞踏家 歌舞伎昌三さん
月の庭店主、イベントオーガナイザー
岡田昌さん
がんのため47歳の生涯を閉じました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
2007年の3月にシャンバラが主催した
「ドラまつり」にも出演していただきました。
同じくがんでなくなったドラちゃんの追悼のイベントだったのですが
マサルさんもあっちの世界に逝ってしまったのですね。
同じ歳の6月に伊勢の「アジト」で開催された
ne≒iroのイベントです。
このときは平松麻衣さんとの共演でした。
ライブペインティングは荒木さん
このときはとってもセクシーな舞踏でした。
かっこよかったです。
そうしてこちらが
07年5月松阪撫子まつりでの路上パフォーマンス
共演は名古屋の「どりいむ」
このときはおどろおどろしていました。
おどろおどろした中にも笑いがあって
高校生におそいかかったり^^
高校生は必死で逃げていました。
いっぱいのカメラ親父に囲まれていました。
母子連れが「ぼうや、見ちゃだめよ、」と
言いながら足早に通り過ぎてゆきます。^^
がんが発覚してから
突然、舞踏家になり、
亡くなるまでの4年間
すごい数のステージで踊りました。
まるで40年分を4年で踊りつくそうとするかのように
きっと4年で40年を生きたのでしょう。
歴史にもし、はナンセンスかもしれませんが
もし、彼ががんでなければ
舞踏家になっていなかったのかもしれませんし、
がんが彼をあそこまで躍らせた、
とも言えるのかもしれません。
がんが無く無難で平穏な人生を終えるか
がんの痛みとともに燃焼しつくす人生を選ぶか?
きっとマサルさんは後者を選んだのでしょう。
それが彼の表現であり踊りだったのかもしれません。
人の人生は生まれる前から決まっているようで
自分でそれぞれ選び取ってきているのかなあ。
とも考えたりもします。
彼自身のことを考えると
きっと何の後悔もない人生だったと思います。
したかったことを言い出せばキリがないし
何百年生きたってやりたいこと全部やれるわけもないので
とりあえずは^^全速力で生ききったと思います。
ただ、残された人たちは・・・
ええええ?もう逝くの?
早すぎるよ。
本当に早すぎるよ。マサルさん。
見送られる人より見送る人の方が
格段にさびしいものです。
外国にいても生きていればさびしくないです。
たとえ月にいるのでも。
他の惑星にいるとしても
会わなくても、どこかで生きているのだったら
さびしくはないですが
あっちの世界だけはどうにも
届かない世界です。
それでもぼくは
またいつかどこかできっと出会えると
確信しています。
またお目にかかりましょう。マサルさん^^)