神は愛なり
また今週も墓をめぐった。
といっても墓場めぐりが趣味のように思われても困るのだが、
父の12回目の命日であった。
と、思ったら命日より2日早かった。
父が死んで以来、命日にお参りするのは初めてである。
うちは命日とか記念日とかあんまり気にしない家系?なもので
というより単なるものぐさなのかもしれないが
父の性格を考えると
「(お参りに)来ても来なくても、別にどっちでもええよ」
みたいな事を多分思っているのだろうから
これまで熱心に行かなかったが、
今回はたまたま思い立って行ってみた。
父は自分のやりたいように生きて、
死ぬ一ヶ月前に、まるで予期していたかのように
身の回りモノを全部整理して
2月の寒い朝にトイレに行った帰りの廊下で
うずくまるように昇天した。
75歳だった。
父の墓の横に小さな墓がある。
これはぼくの姉のお墓で
父が作った。
姉は生まれてくるときに
母の胎内で亡くなったので
実際には逢ったこともないのだが
このお墓が一番好きだ。
当時父はクリスチャンだったらしく
父の筆跡で「神は愛なり」と刻んである。
このお墓を見ると
会ってもいない姉に会えるようで
遠い昔の幼い頃の光や風や音を思い出すような気がする。
父方のお墓は一人ひとつずつ墓石を立てる風習らしく
墓石がやたらにたくさんあって
親戚なんかも便乗して立てているので
どこからどこまでがうちの墓なのか
後ろの方はまるで墓石のピラミッド状態である^^。
発掘したら金銀財宝やら埋蔵金が出てきたらいいのに^^。
どこまでがウチで境界線は・・・とかどうでもいいみたいだ。
まあ、あまりそういう細かいことにもこだわらないのが
うちの家系らしくて好きだ。
この墓に来るとなんか楽しくなる。