シャンバラなブログ

シャンバラな日々のお仕事以外の旅やつれづれをつづります。

アユタヤ

バンコクでの騒動を逃れてアユタヤにやってきました。
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日本からタイ正月のソンクランの初日にやってきて
行き当たりばったりにアユタヤにきました。
ここでは毎日遺跡を巡っていました。
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毎朝、早くおきて
歩いて遺跡を巡っています。
太陽が高く登る前に行かないと
日中はとっても暑くて歩けません。

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たまたま今泊まっているホテルは
主だった遺跡の徒歩圏内にあるので
早朝の散歩にはぴったりです。
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各遺跡にはゲートがあり、
門番がいて拝観料50バーツ払わなければいけません。
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オープンは7時半と書いてありますが
6時半ごろに行っても入れてくれました。
さすがマイペンライの国。

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おかげで誰もいない遺跡をゆっくり巡ることができました。
日本は木造建築なので遺跡と言っても
柱の跡くらいしか残っていませんが
こちらはレンガ造りなので
当時の姿がリアルに残っています。
しかも、1763年にビルマ軍に破壊された当時そのままが
残っているのでその当時の人の悲しみが伝わってくるようです。

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半分まで折れた柱
崩れた壁
すべて首を切り落とされた石の仏像
ところどころに破壊を免れた装飾のついた
柱や壁が残っているのが余計に無残さを際立たせています。

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空はあくまでも青く、
仏塔は朝日に輝きます。
遺跡と言うよりも廃墟といったほうがぴったりくるくらい
ビルマ軍の破壊はすさまじいものでした。

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14世紀に起こったアユタヤ王国は当時としては
東南アジア最大の王国でした。
それが一夜にしてくずれさったのです。
祇園精舎のかねのこえ諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。
ほんと平家物語まんまです。
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こっちの方の戦闘はゾウ部隊が主力だったようで
タイの絵にもゾウに乗った兵士が描かれています。
ビルマから大挙して押し寄せた軍隊を見たアユタヤの人々は
どういう感じだったのでしょう?

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それから250年たって僕はここに来ました。
今は世界遺産に指定されています。
タイに来て30年くらい経ちますがアユタヤのこともほとんどしりませんでした。

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それにしてもこうやって時間も仕事も家庭も^^忘れて
過ごせたのは何十年ぶりでしょうか?
バンコクもチェンマイも「職場」なので
ここ十何年も「職場」を外れることはありませんでした。

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若いころインドやアジアを旅行していたころは
毎日がこういう生活でした。
一日ひとつ、観光か洗濯か、両替(当時は両替するのも半日かかり)か
そういった「仕事」をしたらあとはホテルでごろごろ。
そこで出会った人たちととめどないおしゃべりをして時間をつぶし、
夕方にぶらぶら散歩。
飽きたら次の街に移動の毎日でした。

また年取ったらそんな生活に戻りたいです^^。

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昨日、ボート乗りに行くときに
ソンクランに襲撃されました。^^
トゥクトゥクの運ちゃん
わざわざ、ソンクランの激しいところを通るのです。
サービスだったのでしょうか?
でも楽しかったです。