シャンバラなブログ

シャンバラな日々のお仕事以外の旅やつれづれをつづります。

玉城町 村山龍平記念館

田丸城の隣にある村山龍平記念館

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郷土資料館と併設されていて、意外に面白かったです。

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カリコ古墳という古墳から出土したツボやら人形やらが展示されていました。

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こんなかわいい恐竜?のフィギアとか。

平和な玉城町だったのですね。

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時は流れ、戦の時代。

田丸城全盛のころ。

おそろしい鎧。

夜中に歩きだす、という噂です。(無い無い^^)

 

更に時は流れ、文明開化を迎えました。

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玉城町のアーリータイムの写真が面白かったです。

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この子供たちも大きくなってトシをとって

今はもうこの世にはいないのでしょうね。

写真ってこうやって見ると時間を凍結する紙なんですね。

なんだか不思議。

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どなたかえらい人なのでしょうか。

昔のおじいさんは威厳がありました。

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ぼくが中学一年生の夏までは

亀山-伊勢の間を蒸気機関車が走っていました。

ぼくはテっちゃんだったので、

休みの度に汽車に乗りに行きました。

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そして龍平くんが生まれたのは

ぼくが高校生の頃でした。なわけないですね。

 

村上龍平コーナー。

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龍平じいさんは1850年玉城町で生まれました。

生まれたときからこんな姿であったわけではありません。

 

21歳の時に大阪に移り住んでエスニック雑貨商を営んでいました。

エスニック雑貨じゃなくて西洋雑貨でした。

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29歳で朝日新聞の第一号を発行しました。

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その後、国会議員にもなったりしたそうです。

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wikipedhiaより引用

村山龍平記念館1983年(昭和58年)4月3日田丸城跡に村山家からの多額の寄付を受けて開館[3]。田丸城の敷地は現在、玉城町有となっているが、村山龍平の寄付金をもって旧・田丸町が払い下げを受けたものである[4]

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とまあ、龍平ちゃんは玉城町が生んだ偉大な人なんですが、

玉城町民のみなさんは朝日新聞をちゃんと購読していますか?(笑)

それとも玉城町民は購読料割引とか。(笑)

 

他に玉城町出身の有名人は・・・

と検索してみました。

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坂川美女丸さんという方がでてきました。

その名前に記憶はありませんでしたが、

カブキロックスはよく知っています。

その元メンバーで、今でもプロで活躍していらっしゃるそうです。

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カブキロックスはなんで知っているかと言うと

イカ天の大ファンでしたから。(笑)

イカ天とは90年代初めにバンドブームを巻き起こした

伝説のテレビ番組です。

たま,blanky jet city ,Biginなど

90年代前半を代表するバンドが次々とイカ天から登場しました。

イカすバンド天国

 

ジュリーのTOKIOのコピーで「お江戸」でデビューしています。

カブキ姿でお江戸を歌うのは氏神なんとか。という人でした。

カブキロックスHP(←いきなり音が出ます)

 

朝日新聞からカブキロックスまで!

玉城町すばらしい街です。

そういうわけで最後にもう一度

ありがとう龍平ちゃん。

違う角度で写真とって来ればよかったな。(笑)

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