シャンバラなブログ

シャンバラな日々のお仕事以外の旅やつれづれをつづります。

WAR ON GAZA

バンコクにいます。


旅の夜はだいたいこんな感じで


部屋でテレビを見たり、本を読んだりしています。


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中東のテレビ局「アルジャジーラ」は


朝からずっとイスラエル軍の


ガザ侵攻のニュースをながしていました。


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画面の後ろで閃光が炸裂して


煙があがりリアルタイムで戦争が生中継されています。


ガザは停電し、


3分の1で断水が起こっています。


 


なんでこうなったかと言う直接の原因は


ガザから飛んでくるロケット弾に対する報復ですが


まあ、それにしてもひどい報復です。


それに至るまでの経緯は


2000年の歴史


ユダヤ教徒とイスラム教徒の歴史まで


さかのぼらないと説明できません。


ユダヤ教もイスラム教ももともとは同じ宗教だったのです。

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ぼくの乏しい知識で簡単に説明させていただきますと


イスラエルは第二次大戦後


パレスチナ人の土地にパレスチナ人を追い出して


イギリスの後押しの元無理やりつくった国です。


イギリスはアラブにもイスラエルにもいい格好をして二枚舌を使い


イスラエルを建国しました。


そこから領土を巡って中東戦争がはじまりました。


パレスチナ人パレスチナ解放機構(PLO)をつくって


イスラエルに対抗していましたがアラファト議長の死後


強硬派のハマスと穏健派のファタファの2つの組織に分裂しました。


そのハマスが統治しているのがガザ地区です。


 


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イスラエルはガザを取り巻く壁を作りハマスを封じ込めました。


物資や食料がガザに入らないようにしました。


そこでハマスはエジプトとの国境にたくさんのトンネルを掘り


そこから物資を運びこんでいます。


イスラエルはそのトンネルを潰す作戦を展開しています。


ガザ地区はだいたい種子島くらいの大きさだといいます。


そこに150万人の住人が住んでいます。


今は天井なき牢獄と言われ住人はどこにも逃げ道がありません。


そんな中でイスラエル軍は空爆のあと地上軍を投入しました。


 


間違っているところもあるかもしれませんが


大体そんなところだろうと思います。


子どもたちが毎日、爆弾の炸裂する音を聞かされ


恐怖の中で日々を過ごしています。


もし、それが自分の子どもだったとしたら?


 


日本に普通に住んで生活していると


時々テレビで聞こえてくる遠い国の戦争の話です。


「ああ、大変だな」と思うだけで


ピンとこないのだろうと思いますが


それでもやっぱり知らないより知っておいた方がいいと思い書きました。


 


今もテレビのLIVE中継の画面では爆弾が炸裂しています。


世界がもし100人の村だったら


という絵本がありましたが


これは無法地帯の村、以外のなにものでもないでしょう。


世界という村のほぼ全ての家は爆弾や鉄砲などの武器持って武装しています。


我が家にひそかに銃口を向けている家もあったりもします。


その村を統治する村長も法律もない村です。


我々の世界はそんな世界です。


 


全ての戦争は「自衛のため」に始まります。


どちらにもそれぞれ言い分があり


相手を悪とののしりますが


善悪はそこでは意味をなしません。


ただただ殺戮と恐怖だけがあるのでしょう。


 


ぼくらはほとんど無力です。


戦争をやめさせるチカラもありません。


でも、見たことを伝えること考えることくらいはできます。


遠い国の話でも結構です。


自分ちでなくてよかった、と思っていただいても構いません。


遠くの他人の痛み、なんてピンと来なくて当たり前なんです。


話し合いで問題を解決できないと


結局は暴力で問題を解決するしかないのです。


 


話し合いで問題を解決するには


知恵と駆け引きと妥協と強調と信頼・根気と忍耐と笑顔という


高度な心の技を総動員しなければなりません。


暴力で問題を解決するには憎悪と腕力だけで充分ですが、


問題の解決どころか、憎悪は新たな憎悪を呼びます。


 


これは戦争に限った事ではありません。


全ての人間関係のトラブルにもあてはまるでしょう。


 


飛行機に乗ると


高いところから世界の100人の村の様子がよくわかります。


早くこの村が平和な村になるよう祈るばかりです。