縄文への旅
えほん村に、近辺の観光地のパンフがいくつか置いてあったが
一番衝撃を受けたのは井戸尻遺跡のパンフレットだった。
プリミティブでシュールなデザインの土器の写真がいっぱい!
まるでアフリカかニューギニアのデザインとそっくりだ。
縄文時代について三内丸山遺跡とかなんとなくは知っていたがそんなに詳しくは知らなかった。
毛皮をたすきがけにして槍を持ってマンモスを追っかけているような原始人のイメージがあったけれど、実際はぼくが想像していたよりずっと豊かで楽しそうな時代のようである。
伊勢に帰る途中に行ってみることにした。
八ヶ岳南麓から少し長野県よりにうねうねとした細い県道を走った。
ナビもないので途中で何度も車を止めて地図を確認していると
井戸尻遺跡の看板がところどころにあって、それをたどりながら行った。
棚田が広がり谷をはさんで南アルプスの麓の尾根が見渡せるところに
井戸尻考古館はあった。
縄文人もこの風景を眺めていたのだ、と思うと気分は5000年前にタイムスリップ。
中に入るとパンフレットに載っていた以上のすばらしい造詣の土器や土偶が
本当にたくさんあった。これすべてこの遺跡から出土したものなんだそうだ。
一体、縄文人ってどんな人だったのだろうか・・・。
想いははるかに飛翔しそうになった。
展示はすばらしかった。
が、歴史なんかに全く興味のない小学生と保育園の子供連れで行くと
ずーーん、と現実に引き戻される。
おなかすいた、たいくつ、おしっこ・・・・。
おーい、おまえら、外の広場で遊んでろ!
「暑いから、いや」
とほほ・・・。
縄文時代は今から1万数千年前から紀元前ごろまで
約1万年も続いたのだそうである。身分の上下関係もなく、戦争もない時代だったそうだ。
学校では狩猟採集の時代、と習ったけれど
実際は栗や芋やゴマなんかを栽培していたらしい。
漆の漆器も発見されていて、言葉も使用されていたそうである。
三内丸山遺跡では幼くしてなくなった子供のお墓も
もちろん大人のお墓もあって
ぼくが考えていたよりもずっと豊穣な時代だったのだと思う。
ただ平均寿命は30歳くらいだったそうである。
ぼくは輪廻転生を信じているので
いつか遠い昔にその時代に生きていたぼくを想像してみる。
今の時代は世の中の変化のスピードがものすごく早い。
ぼくの生まれたころは自宅にテレビもなかったし
電話は3軒隣の人がいつも呼び出してくれた。
わずか40年でこの変化。
いいことばっかりに早いのはいいが、気候の変動も早くってあんまり変化が早いとこの先どうなっちゃうんだろう。と不安になってしまう。
縄文は一万年も変わらずにゆったりと時を刻んでいたのだから、人は永遠を信じられたのだろう。今は無常の時代だね。
考えてみれば
ぼくのおじいちゃんが生まれた山奥の平家の隠れ里は
縄文時代とそう変わらない暮らしであったような気がする。
つい百年くらいまではまだ縄文の生活に近かったのかもしれない。
帰ってから図書館で縄文時代の本を何冊も借りて
インターネットでも「縄文」で検索して
一万年も続いた平和で豊かな時代を思い返しています。
今の時代は物質は豊かだけれど心はどんどん貧しくなっていると思います。
いや、正確に言えば心が貧しくなっている人と豊かになっている人が二極化しているような気がします。
経済的な貧富の差も激しいですが
精神的な貧富の差も激しくなってきてると思います。
経済的に豊かな人=(イコール)精神的に豊かだとはとても思えませんし、その逆も同じですが、あまりに経済的に貧しいと食べ物のとこばかり考えてしまうので、ある程度は経済的な豊かさも必要だとも思うのですが、物質的に過剰に豊かな事が精神の貧困さを招いている原因のひとつだと思います。
戦前がよかったなどという人もいますが
戦前は差別がとてもひどい時代だったし、
戦争に向かってまっしぐらの時代だったからとてもいい時代だとは思えない。
江戸時代がよかったかといえば、どうでしょう?
やはり男女差別は身分差別は当たり前だったし、自由はなかったと思います。
なので縄文はパラダイスだったのかどうかはわからないけれど
今、過去のどの時代に生まれ変われるか選べるとすれば
ぼくは迷わず縄文時代を選ぶでしょう。
だって毎日キャンプ生活だから^^。