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シャンバラなブログ

シャンバラな日々のお仕事以外の旅やつれづれをつづります。

神倉神社

http://d.hatena.ne.jp/mikishanbara/20110304
からの続きです。

神倉神社はすぐに見つかりました。
42号線を南に、車で信号を3つ超えて
何気に右の山の方をみたら、
でかい岩山に赤い社殿が張り付いています。

この太鼓橋を渡ると神倉神社の神域です。

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渡ってすぐ左手に鳥居がありここから
階段が延々と伸びています。
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果て知らずに伸びる階段
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一段一段がめちゃくちゃ急なのです。
石段もランダムに積み上げている、って感じ。
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上のほうまで来るとようやく傾斜はゆるくなりました。
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そうして、いきなり巨大UFOのような
ゴトビキ岩が目に飛び込んできました。
まるで未知との遭遇です。
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眼下には新宮の街が一望できます。
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カラスの夢に導かれて不思議なご縁でここまでやってきました。

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2000年前にインドの神様(熊野権現)が降り立った場所です。
それが事実かどうかは大した意味はありません。
ぼくの中のインドと熊野がここでつながったのでした。

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いままでつかえていたものがス〜っと開放された気分でした。
詰まっていた鼻が開通したようなそんな感じ。
新宮の街がとてもいとおしく感じました。
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帰りはまた急な石段を降りました。
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一歩間違えたらまっ逆さまに落ちてゆきそうな石段です。
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巨大な岩は磐座(いわくら)といって古くから
神さまとして崇められていたのだそうです。
全国で岩がご神体の神社は多いですね。
神倉神社も西暦100年頃から信仰の対象になっていたと言われます。
今から2000年も前から、ここは神聖な場所だったのです。

「神仏を信ずれど神仏に頼らず」と宮本武蔵は言ったそうです。、
ぼくも表向きはそう思います。
が、実はとっても下世話な人間なので、
ご利益なんて関係ないよ、とは周りには吹聴しつつも
本音では、「なんか神様、奇蹟のひとつでも・・・てへへ^^。」
と意識の奥の方では下心バリバリだったりして。^^)
すると早速ご利益が?あったのかどうか。
かつて旅したインドと熊野が自分の中で
インドから伸びてきたチューブと
ここにいる自分のチューブがつながった。と。
そんな感じがしました。
それが何なのかはいろいろに解釈できるのでしょうが。
それが奇蹟といえばプチ奇蹟ともいえます。自分の中ではね。


帰りに階段をおりながら、子供と話をしました。
この石段のはじめから583段までが
今までの人間の歴史の流れとしたら、
ぼくらはこの砂粒の一粒より小さいよなあ。
ここにあるでっかい石というのは有名な人や。
アインシュタインとかはこのでっかい石や。
ヒットラーもでっかい石や。あとずっと下のほうの
でっかい石はキリストかもしれないし、
真ん中くらいにあるでっかい石は徳川家康かもしれん。
イチローはもっとちっちゃいなあ。
でも、ぼくらやほとんど人間はこのちいさな砂粒みたいな存在や。
その小さな粒、小石、大きな石があつまって
階段になってんのや。
それが歴史なのかもしれんなあ。
なんか2000年くらいの旅をした気分になりました。


不思議なカラスの王様は
こんな素敵な場所をぼくらに教えてくれました。
熊野曼荼羅も聞くことができて、
それがご縁で神倉神社にお参りできました。
これぞ小さくて大きな奇蹟だと思いました。
人生凹むことも行き詰まることもあるけど、
とても素晴らしいことも沢山あるのだと、
改めて教えてもらった気分です。


うまく言えないけれど
奇蹟は、石ころがパンになったり、
わらしべから豪邸が手に入ったり、
1億円の宝くじが当たったり、ということではなくて
道端の小さな花が開くことが、奇蹟なのだと思いました。
手品のような派手派手しい奇蹟ではなくて、
誰かの笑顔が、みんなを幸せにしてくれることこそが
本当の奇蹟だと思います。
奇蹟は私達の身の回りに無数に起こっています。
ただ、そんな小さな奇蹟を
より多く感じとれる、見つけられる能力をもつ人が
幸せな人というものではないのかな。と思いました。

カラスに導かれた小さな不思議な旅の話でした。