小倉百人一首2
すっかり百人一首にはまって
昨日は8首描きました。
並べて
音読してみると更に
なかなかよいです。
書き写して
音読して
なんて言ってるのか意味を調べて
書いた人のことを調べてみると
なかなか興味は尽きません。
百人一首というのは
平安時代のJ-POPだと思えば
わかりやすいです。
平安時代の福山雅はる。とか桑田圭介とかユーミンとかそういう感じです。
百人一首は平安ゴールデンヒットソングスみたいなものですね。
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか
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わたしがあの人を恋しているといううわさが、
世間の人たちの間にもう広まってしまったよ。
だれにも気づかれないように、
そっと思いはじめたばかりなのに・・・。
■作られたワケ
忠見が摂津国の役人をしていた頃、
すきなひとができました。
ポーっとしている忠見の所へ歌合せの招待状が届きました。
そこで忠見はその女のひとのことを思って、この歌を作ったそうです。
兼盛の歌に負けてしまうとはしらずに・・・。
■作者プロフィール
壬生忠見(?〜?)
壬生忠岑の子。平安時代中期の人で、三十六歌仙のひとり。
「天徳四年内裏歌合」で平兼盛の歌に負け、
物がたべられなくなる病気になって、
死んだという話が伝わっています。
【http://contest2.thinkquest.jp/tqj2003/60413/index2.html
小倉☆百人一首さまのサイトから引用です。】
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恋してるのがばれちゃった。という歌を作って大ヒットして
紅白歌合戦に出場したが
負けて拒食症で亡くなった。
という人なんですねー。
まるで芸能人ですね〜。
あわれとも いふべき人は 思ほえで
身のいたづらに なりぬべきかな
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■口語訳
あなたに見すてられたわたしを、
「ああ、気のどくに」と同情してくれそうな人も、
今はありそうに思えません。
わたしはこのまま、あなたを恋こがれながら、
自分の身がむなしく消えて死んでいく日を、
どうすることもできずに、
ただまっているだけなのですよ。
※身のいたづらに・・・わたしがむなしく死んでしまうにちがいないという意味。
■作られたワケ
摂政関白・藤原氏の家系に生まれた伊尹(謙徳公のこと)は思いのまま人生です。
でも、好きな女の人はちっとも伊尹を好きじゃありません。
イライラしながら伊尹は「死んでしまいますよ」
と脅しをだしてこの歌を送ったそうです。
■作者プロフィール
謙徳公(924〜972)
藤原伊尹。九条右大臣師輔の長男で、関白兼家の兄にあたります。
娘懐子の生んだ皇子が天皇になったおかげで、
摂政太政大臣になりました。
和歌所別当(長官)として、『後撰集』をまとめました。
【http://contest2.thinkquest.jp/tqj2003/60413/index2.html
小倉☆百人一首さまのサイトから引用です。】
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まるでジュリーの歌みたいですね。
壬生忠見さんは三十六歌仙だし
謙徳公は和歌別当のどちらもエリート
小室哲やと阿久悠みたいなもんでしょうか?
謙徳公は生活が派手だったそうです。
百人一首には恋の歌が43首あるそうです。
そのほか自然を詠んだ歌。
これがまたなんともステキなんです。