暗黙の距離感
あたり前だったけど
生まれたときから
自分は、自分の親の子どもで育ってきたわけですが
自分が親の立場になるなんて
自分に子どもができるまでは
全く想像したこともありませんでした。
親になってはや20年くらい経ちます。
親にとってはこの20年くらいは
つい1週間前のやや過去くらいの感覚で、
1週間前の1000倍遠い過去にはとても思えませんが、
子どもにとっての最初の20年は。
人類200万年の時間に匹敵する感覚です。
つまり親はいつまでも同じ内面の意識なのに
子は20年間で犬猫地蔵的な存在から
対等な人格へと、
相当に意識が変容します。
でも親はいつまでも犬猫地蔵的な
赤ん坊幼児時代の我が子を追憶して、
そういう目で自分の子どもを見て接してしまうときがあったりすると
我が子にウザがられたりすします。
また生後50年もたっているのに
自分の親からそういう目でみられたりすると
子どもの立場としてはウザい感情が
巻き起こる気持ちがよくわかります。
親子の関係なんて
どれが良い悪いとかは言えないし
べたべたと仲がよかったらなんだか気持ち悪いし
仲が悪くても嫌なものだし
ある程度の距離、間、を置いて
お互いと接したらいいものだけど
それぞれに距離感も違うので
至近距離にずいずいと
侵入されても困ってしまいます。
その辺でまた軋轢があるのでしょう。
親が子に対して、子が親に対して、
もっと見てもらいたい
構ってもらいたい。
そういう承認欲求が
満たされていない関係もあったりします。
本当かどうかわかりませんが
子は親を選んで生まれてきている、
なんて説を読んだことがあります。
そう言われてみると
そうなのかもしれない、と思います。
好き嫌いは別にして
両親に学ぶことは沢山ありました。
この両親のおかげで学ぶことはたくさんありました。
それは素直に感謝はできますが
感謝するのと、
その人を好きになる、
尊敬する、
というのはまた別の話です。
親を尊敬する、とは思いますが
それには
「ある意味」という言葉がつくのです必ず。(笑)
「ある意味、尊敬する(笑)」
感謝はとてもしているし、いろいろ学ぶことも多かったでした。
が、感情的に好きか嫌いかとはまた別の話です。
それはそれでいいのだと思います。
好き嫌い、愛憎合間見えている関係こそが
親子関係であるのだと思います。
またそこに学びの多くがあるのでしょうね。
これ以上は突っ込まない。という暗黙の距離感。
を保てる関係が理想なのでしょうが、
なかなか難しい場合もあります。
親でも子でも夫婦でも
いろいろな感情が混ざり合うのは仕方ないので
それはひとまず置いといて、
尊敬と感謝は忘れることなく
それぞれの立場に快適な距離感を保って
つきあえればいいですよね。
親子じゃなくても夫婦、家族、友達、チーム、会社、
国際関係
でも同じですね。
親子関係
親子関係兄弟関係というのは
好むと好まざるに関わらず
生活を共にした時間の長さにも関わらず
とても「蜜」なもので
つくずくDNAの恐ろしさを痛感いたしました。(笑)
歴史上を見ても
親兄弟で争うこと事例は無数にありますし、
実際殺人事件でも肉親というのが一番多いのだそうです。
他人ならある程度、遠慮しますが
肉親というものは
いい意味でも悪い意味でも
遠慮、の垣根はかなり低くなります。
きっと他人よりも
期待値がたかまってしまうんでしょうね。
親だから、これくらいしてくれるだろう。
子どもだから、これくらいすべきだ
なんて、お互いの期待値のせめぎ合いで
いろいろな軋轢を生む、ということがわかりました。(笑)
バラバラな意味不明の0と1
いろいろなところにぼくらはいた。
ある時はお寺、とか
ある時はお店とか
インドとかタイとか海とか山とか都会とか
インターネットの中とか
そもそもインターネットの「実体」ってどこにあるんだろうか。
このページはどこにあるんだろうか。
この記事を描いてUPすると
どこかの国の
巨大な倉庫の巨大コンピューターに
記録されるのかな。
それとも地球をぐるぐる取り巻くインターネット層のようなものがあり
そこを人工衛星みたいに飛び交っているのだろうか。
無数の0と1が飛び交っているのだろうか。
ぼくらが「肉体」と呼んでいる「実体」はどこにあるんだろうか。
肉体が消滅したらぼくらも消えてしまうんだろうか。
インターネット上のデータを削除したら
削除されたデータは消えてしまうのだろうか?
消えたデータはどこに行くのだろうか?
バラバラな意味不明の0と1が
宇宙空間をただよっているのだろうか。
ぼくらも死んでしまえば無意味な0と1になるんだろうか。
ゼロって「無い」ことなのに
0と1が「ある」、っていうのはこれまたおかしいな。
ゼロっていう実体がある、わけないよな。
だってゼロなんだから。
バラバラな意味不明の1しか宇宙空間をただよう、わけないよな。
無数の0と1が飛び交う、わけないよな。
で、ぼくらの実体はどうなってしまうんだろう。
ゼロとイチで、できて「いる」のかな。
ぼくらが考えたこと、思った事、ぼくらがいたこと、
は、だれかの心の中に記憶されるのかな。
その記憶がどんどんと地層のように積み重なって
ぼくらの脳みそに蓄積されていくのかな。
そう考えてみると ばくらが生きていることも
まんざら無意味でもないような気がする。
散れない花 枯れた花
GWになると牡丹が咲きだす。
これは2013年4月24日の写真。
うちの牡丹はわりと下品に咲く。
新宿のスナックの、
美人だけれどガハハと笑う。
大酒飲みのホステスのようだ。
今は蕾が膨らんでいる
あっという間に咲いてあっという間に散って行く。
派手に短く。な花だ。
なかなか散らない花もある。
はやく散りたいのに時間をもてあまして
退屈していていろいろ気になって
でもめんどくさくもなってきて
でもすでにもう花でもないのに
長い時間をもてあましている
咲かないで枯れた花もあった。
その花の周りをよく見ると
小さな花がたくさん咲いていた。
どんな花もネコも愛おしいのは
すべてに自分の分身が宿っているからなのか。
すばらしいコンサートに行って
一体感を味わった時に
そこにいる観客すべてが自分だと思った。
演奏者もお客さんもすべてが自分の分身だと感じたとき。
自分と他人の境界線が限りなくゼロに近づいたときだった。
でもコンサートが終わってまた日常にもどったら
自分は自分、他人は他人。
そこはまるでカプセルホテル。
やはり皮膚、肉体という牢獄の中からは
死なない限り抜け出せないのか。
世界が全て敵にまわっても
信頼できる、味方になってくれる人が一人でもいれば
全然大丈夫だと思う。
その一人でも自分の味方になってくれるのだと思うと
その人のために生きて行ける
信頼できる人が多ければそれに越したこともないだろうが
たった一人で充分だと思う。
でも、そのひとり、すらも
いない人はつらいよね。
ぼくがなってあげる。なんて簡単な話じゃないからね。
でも、本当はいるんだよ。すでに。
ただ、その人が気づいてないだけで
信頼できる人は誰にでもいるんだよ。必ず。
もし、その人が誰かを信頼することができるならば。
春の写真
これは何年か前の春の写真です。
って書いても、
実は今年の写真です。
って書いても
あまり変わりませんね。
2012年の4月の写真です。
春になって空気がゆるくなって
少しほっとできますね。
ほっと、もできたりもしますが
気分が不安定になったりもしていました。
新芽の時期は
なんとなくもやもやとした気分になりますね。
桜を見てもいつもようにはしゃぐ気にもなりませんでした。
かといってずーんと重くなるのでもなく
ばくぜんとしたもやっと感に支配されていた気持ちです。
日々の雑事やいろいろな出来事をクリアしながら、ぼんやりとしている暇もなくて。
それがつらい、とかそういうのでもなくて
かといって、気分が昂揚することもなく
沈みがちな浮遊感がつづいていました。
だからどうなんだ?と自問すると
別に大したことはない。と自答します。
なので何事もあまり大したことはない。と
再び自答してみます。
足代清の世界2/油彩 陶芸
たくさんの油彩作品を描いていたのは
おそらく1950年代から70年代にかけてだと思う。
ぼくが子どものころは
茶色が主体のペインティングナイフでかきなぐったような作品が多かった。
母親と離婚してから
このようなシュールリアリズム的な作品に変わった。
子ども心に絵が変わったな。と思った。
でもそれっきりほとんど会うこともなくなってしまったので
どういう絵を描いていたのかわからない。
うちにあるのはこれ一枚だ。
あとの絵は散逸してしまって所在不明になっている。
足代が死ぬ直前にくれたのが
この花器である。
「煉獄」というタイトルだそうだ。
60代もころは油絵よりも
陶芸を多く制作していた。
陶板作品も数多く制作していたのだが
散逸して所在不明が多い。
彼の人生も「煉獄」のようなものだったのだろうか?
こちらはたこつぼ?
タイトル不明
煉獄よりこちらの方が気に入っている。
足代と過ごしたのは幼少期の10年間と晩年の数年間のみであるので
作品についてはほとんどわからない。
今の自分からみると
こういうのは絶対に作れない、と思うし、
もっと生前に評価されてもよかったのではないかと思う。
大きな絵を描いていたのは
中央展を目指していたのだが
それもかなわなかったようだ。
死後、一年くらい経って
叔母が足代清の展覧会を開いてくれて
その時にご縁のある方に作品を貰っていただき
今は手元にはスケッチブックと数点の作品しか残っていない。