シャンバラなブログ

シャンバラな日々のお仕事以外の旅やつれづれをつづります。

想いを届けよう 4月24日アースデイ伊勢 ゲリラ紙芝居

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風見荘のひろみち君がいってたけれど
伊勢と伊方と熊本と川内は中央構造線でつながっている。
そっかー。
なんだか不思議ですね。
これだけの地震があったというのに
そのすぐそばで原発を燃やし続けているって、
なんだかさらに不思議。
火の元は止めるのが火の用心の基本のキであり、
しかも
こないだ大火事大爆発起こしたばっかりなのに
「ダイジョブ、ダイジョブ」、なんて:::.。
なんで一旦止めないんだろう。
震度7が直下で起こっても原発は大丈夫なのか_・
もしもの事故の責任は
原子力安全委員会?それとも政府?
なーんて、
ま、ダイジョブ、ダイジョブ、なんでしょうね。
きっと。

 

それが「世界一厳しい基準で原発を動かしている」
なんて言う言葉を信用したら

他の国の原発はどんだけテキトーなんだろう。
って思いませんか。

多分、国民の7-8割はホントは原発なんてない方がいい、と思っているのに
どうしてその想いが届かないんだろう?
想いよ届け。だけど届かないよ~。と

言うのを歌にしてみました。

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4月24日 アースデイ伊勢 
ゲリラ紙芝居で出演します。
(主催者様の許可済み)
そこらへんのテキトーな木陰で
紙芝居します。
3年前もそんな感じでやりました。

今回は、
カミシバラー史上初の
ギターで弾き語りじゃなくて
弾きシバリで上演します。
そろそろぼくもピンで出来るようにならんと
いつまでも誰かを頼ってては
この先のワールドツアーもおぼつかないよなあ。と、
考えました。

曲、と言えるほどのものでもありませんが、
テーマソングも作ってみました。
毎日練習しています。
それを初お披露目です(笑)
どうなるか?まずやってみます^^*

ボリビアの山奥とか
ルーマニアの田舎町なんて
そういうところでも一人で紙芝居できるように練習ちうです。
世界中を20年くらいかけてドサまわりして
その途中のどっかで死ぬ。(笑)
っていうのが老後の人生設計です。(笑)

同時に募金も募ります。
SEND LOVE TO Kyusyu & Ecuador
九州とエクアドルに愛の投げ銭をお願いします。
投銭は全額、九州とエクアドルに寄付させていただきます。

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そうしてフューチャーリング Nigoriさんです。
Nigoriさんはキーボードとiphoneエフェクター
何台か使うエレクトロニカっていう音楽をやっています。
先週の日曜日に一緒に練習をしました。

今日はNigoriさんのライブが風見荘であったので
行ってみました。

第一部はNigoriソロ
第二部は風見荘のオーナーhiromくんと
Nigoriさんはお酒をちびちび飲みながら
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キーボードをエフェクターを操って気持ちの良い音を奏でてくれました。
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ヒーくんもギター上手い!

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気持ちよかったー!
Nigoriさんの音源

nigori.bandcamp.com

 

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暗黙の距離感

あたり前だったけど
生まれたときから
自分は、自分の親の子どもで育ってきたわけですが

自分が親の立場になるなんて
自分に子どもができるまでは
全く想像したこともありませんでした。

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親になってはや20年くらい経ちます。
親にとってはこの20年くらいは
つい1週間前のやや過去くらいの感覚で、
1週間前の1000倍遠い過去にはとても思えませんが、
子どもにとっての最初の20年は。
人類200万年の時間に匹敵する感覚です。

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つまり親はいつまでも同じ内面の意識なのに
子は20年間で犬猫地蔵的な存在から
対等な人格へと、
相当に意識が変容します。

でも親はいつまでも犬猫地蔵的な
赤ん坊幼児時代の我が子を追憶して、
そういう目で自分の子どもを見て接してしまうときがあったりすると


我が子にウザがられたりすします。
また生後50年もたっているのに
自分の親からそういう目でみられたりすると
子どもの立場としてはウザい感情が
巻き起こる気持ちがよくわかります。

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親子の関係なんて
どれが良い悪いとかは言えないし
べたべたと仲がよかったらなんだか気持ち悪いし
仲が悪くても嫌なものだし

ある程度の距離、間、を置いて
お互いと接したらいいものだけど
それぞれに距離感も違うので
至近距離にずいずいと
侵入されても困ってしまいます。
その辺でまた軋轢があるのでしょう。

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親が子に対して、子が親に対して、
もっと見てもらいたい
構ってもらいたい。
そういう承認欲求が
満たされていない関係もあったりします。

本当かどうかわかりませんが
子は親を選んで生まれてきている、
なんて説を読んだことがあります。

そう言われてみると
そうなのかもしれない、と思います。

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好き嫌いは別にして
両親に学ぶことは沢山ありました。
この両親のおかげで学ぶことはたくさんありました。
それは素直に感謝はできますが
感謝するのと、

その人を好きになる、
尊敬する、
というのはまた別の話です。

親を尊敬する、とは思いますが
それには
「ある意味」という言葉がつくのです必ず。(笑)
「ある意味、尊敬する(笑)」
感謝はとてもしているし、いろいろ学ぶことも多かったでした。

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が、感情的に好きか嫌いかとはまた別の話です。
それはそれでいいのだと思います。
好き嫌い、愛憎合間見えている関係こそが
親子関係であるのだと思います。
またそこに学びの多くがあるのでしょうね。

これ以上は突っ込まない。という暗黙の距離感。
を保てる関係が理想なのでしょうが、
なかなか難しい場合もあります。

親でも子でも夫婦でも
いろいろな感情が混ざり合うのは仕方ないので
それはひとまず置いといて、
尊敬と感謝は忘れることなく
それぞれの立場に快適な距離感を保って
つきあえればいいですよね。

親子じゃなくても夫婦、家族、友達、チーム、会社、
国際関係
でも同じですね。




親子関係

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親子関係兄弟関係というのは
好むと好まざるに関わらず
生活を共にした時間の長さにも関わらず
とても「蜜」なもので
つくずくDNAの恐ろしさを痛感いたしました。(笑)

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歴史上を見ても
親兄弟で争うこと事例は無数にありますし、
実際殺人事件でも肉親というのが一番多いのだそうです。

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他人ならある程度、遠慮しますが
肉親というものは
いい意味でも悪い意味でも
遠慮、の垣根はかなり低くなります。
きっと他人よりも
期待値がたかまってしまうんでしょうね。


親だから、これくらいしてくれるだろう。
子どもだから、これくらいすべきだ


なんて、お互いの期待値のせめぎ合いで
いろいろな軋轢を生む、ということがわかりました。(笑)

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バラバラな意味不明の0と1

いろいろなところにぼくらはいた。
ある時はお寺、とか
ある時はお店とか
インドとかタイとか海とか山とか都会とか
インターネットの中とか

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そもそもインターネットの「実体」ってどこにあるんだろうか。
このページはどこにあるんだろうか。
この記事を描いてUPすると
どこかの国の
巨大な倉庫の巨大コンピューターに
記録されるのかな。

それとも地球をぐるぐる取り巻くインターネット層のようなものがあり
そこを人工衛星みたいに飛び交っているのだろうか。
無数の0と1が飛び交っているのだろうか。

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ぼくらが「肉体」と呼んでいる「実体」はどこにあるんだろうか。
肉体が消滅したらぼくらも消えてしまうんだろうか。


インターネット上のデータを削除したら
削除されたデータは消えてしまうのだろうか?
消えたデータはどこに行くのだろうか?

バラバラな意味不明の0と1が
宇宙空間をただよっているのだろうか。

ぼくらも死んでしまえば無意味な0と1になるんだろうか。

ゼロって「無い」ことなのに
0と1が「ある」、っていうのはこれまたおかしいな。
ゼロっていう実体がある、わけないよな。
だってゼロなんだから。
バラバラな意味不明の1しか宇宙空間をただよう、わけないよな。
無数の0と1が飛び交う、わけないよな。

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で、ぼくらの実体はどうなってしまうんだろう。
ゼロとイチで、できて「いる」のかな。
ぼくらが考えたこと、思った事、ぼくらがいたこと、
は、だれかの心の中に記憶されるのかな。
その記憶がどんどんと地層のように積み重なって
ぼくらの脳みそに蓄積されていくのかな。

そう考えてみると ばくらが生きていることも
まんざら無意味でもないような気がする。

散れない花 枯れた花

GWになると牡丹が咲きだす。

これは2013年4月24日の写真。
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うちの牡丹はわりと下品に咲く。
新宿のスナックの、
美人だけれどガハハと笑う。
大酒飲みのホステスのようだ。
今は蕾が膨らんでいる
あっという間に咲いてあっという間に散って行く。
派手に短く。な花だ。

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なかなか散らない花もある。

はやく散りたいのに時間をもてあまして
退屈していていろいろ気になって
でもめんどくさくもなってきて
でもすでにもう花でもないのに
長い時間をもてあましている

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咲かないで枯れた花もあった。
その花の周りをよく見ると
小さな花がたくさん咲いていた。

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どんな花もネコも愛おしいのは
すべてに自分の分身が宿っているからなのか。

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すばらしいコンサートに行って
一体感を味わった時に
そこにいる観客すべてが自分だと思った。
演奏者もお客さんもすべてが自分の分身だと感じたとき。
自分と他人の境界線が限りなくゼロに近づいたときだった。

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でもコンサートが終わってまた日常にもどったら
自分は自分、他人は他人。
そこはまるでカプセルホテル。
やはり皮膚、肉体という牢獄の中からは
死なない限り抜け出せないのか。

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世界が全て敵にまわっても
信頼できる、味方になってくれる人が一人でもいれば
全然大丈夫だと思う。
その一人でも自分の味方になってくれるのだと思うと
その人のために生きて行ける
信頼できる人が多ければそれに越したこともないだろうが
たった一人で充分だと思う。

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でも、そのひとり、すらも
いない人はつらいよね。
ぼくがなってあげる。なんて簡単な話じゃないからね。
でも、本当はいるんだよ。すでに。
ただ、その人が気づいてないだけで
信頼できる人は誰にでもいるんだよ。必ず。
もし、その人が誰かを信頼することができるならば。

 

春の写真2

一番苦手な人というのは
実は自分の合わせ鏡だということを思った。

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自分に似ているから苦手なんだ。

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自分に似ているのにベクトルは180度正反対を向いている。

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だから苦手なんだ。

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苦手だっていいじゃないか。

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苦手があるから得意がある
だから苦手を克服しようと思っていない

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でも苦手なものはやはり苦手だ(笑)

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