シャンバラなブログ

シャンバラな日々のお仕事以外の旅やつれづれをつづります。

春の写真

これは何年か前の春の写真です。

って書いても、

実は今年の写真です。
って書いても
あまり変わりませんね。
2012年の4月の写真です。
f:id:mikishanbara:20120407163424j:plain

春になって空気がゆるくなって
少しほっとできますね。
ほっと、もできたりもしますが
気分が不安定になったりもしていました。

f:id:mikishanbara:20120407163913j:plain

新芽の時期は
なんとなくもやもやとした気分になりますね。

f:id:mikishanbara:20120407164445j:plain

桜を見てもいつもようにはしゃぐ気にもなりませんでした。
かといってずーんと重くなるのでもなく

f:id:mikishanbara:20120407164354j:plain

ばくぜんとしたもやっと感に支配されていた気持ちです。
日々の雑事やいろいろな出来事をクリアしながら、ぼんやりとしている暇もなくて。

f:id:mikishanbara:20120407165410j:plain

それがつらい、とかそういうのでもなくて
かといって、気分が昂揚することもなく
沈みがちな浮遊感がつづいていました。

f:id:mikishanbara:20120407170205j:plain

だからどうなんだ?と自問すると
別に大したことはない。と自答します。
なので何事もあまり大したことはない。と
再び自答してみます。

f:id:mikishanbara:20120407174044j:plain

 

足代清の世界2/油彩 陶芸

たくさんの油彩作品を描いていたのは
おそらく1950年代から70年代にかけてだと思う。
ぼくが子どものころは
茶色が主体のペインティングナイフでかきなぐったような作品が多かった。
母親と離婚してから
このようなシュールリアリズム的な作品に変わった。
子ども心に絵が変わったな。と思った。
でもそれっきりほとんど会うこともなくなってしまったので
どういう絵を描いていたのかわからない。

うちにあるのはこれ一枚だ。
あとの絵は散逸してしまって所在不明になっている。
f:id:mikishanbara:20160224132556j:plain

足代が死ぬ直前にくれたのが
この花器である。

「煉獄」というタイトルだそうだ。
60代もころは油絵よりも
陶芸を多く制作していた。
陶板作品も数多く制作していたのだが
散逸して所在不明が多い。
彼の人生も「煉獄」のようなものだったのだろうか?

f:id:mikishanbara:20160224134112j:plain

こちらはたこつぼ
タイトル不明
煉獄よりこちらの方が気に入っている。

f:id:mikishanbara:20160224132607j:plain

足代と過ごしたのは幼少期の10年間と晩年の数年間のみであるので
作品についてはほとんどわからない。

今の自分からみると
こういうのは絶対に作れない、と思うし、
もっと生前に評価されてもよかったのではないかと思う。

大きな絵を描いていたのは
中央展を目指していたのだが
それもかなわなかったようだ。

死後、一年くらい経って
叔母が足代清の展覧会を開いてくれて
その時にご縁のある方に作品を貰っていただき
今は手元にはスケッチブックと数点の作品しか残っていない。


足代清の世界

2月24日は私の父親の足代清(あじろきよし)の命日です。
先日、引出しの中からこんなものがでてきました。

あ、これはUPしろ、ということだな(笑)
と思い UPしました。

晩年父親は切り絵をずっとやっていました。
こういうハガキセットまで作って売っていました。
あまり売れなかったようですが。(笑)
切り絵だけでなく
油彩、水彩、彫刻、陶芸 と幅広く制作していました。

ぼくの子どもの頃は
サントリーレッドを飲みながら
狭い家で100号くらいのでかい絵を描いていました。
油絵の油の匂いを覚えています。

f:id:mikishanbara:20160224011505j:plain

10歳の時に離婚して親父は家を出て行きました。
再婚してぼくの腹違いの妹が生まれました。
それから数年に一度くらいしか会えなかったのですが
何十年か経って
オヤジの奥さんが亡くなり
奥さんの葬式でぼくが遺影を持ちました。
それから、また交流が復活し、
死ぬ前の5年間くらいは
オヤジの主催する絵画教室に通ったりしていました。

f:id:mikishanbara:20160224011627j:plain
自分で「作家 足代清先生」って書いてるし。


死ぬ一ヶ月前に 経営していた
ちいさな工房をたたみ、すべてを整理して
ぼくに「最高傑作」という陶芸作品を何点かくれました。

18年前の今日 朝方、トイレに立ったその時に
玄関先で眠るように死にました。
葬式は悲しいというよりも
悲しすぎて却って嬉しい。と言った感じでした。
なんかよかった、よかった。と思いました。
3日3晩酒を飲んで泣きながらどんちゃん騒ぎでした。
めっちゃ楽しい葬式でした。

初めての孫が生まれるわずか一ヶ月前でした。
一か月後、ぼくは父親になったのですが
生まれたての赤ん坊の顔を見て
ユキちゃんと
「足代にそっくり(笑)」と驚きました。

足代も死に

妹も死にました。

ぼくらもいつかは死にます。
でも死ぬことは終わりではないので
ただ、それは現象なんだな。と思います。
オヤジの粒子の一部は相変わらずここらへんにいるしね☆

f:id:mikishanbara:20160224012821j:plain

 

f:id:mikishanbara:20160224011834j:plain

f:id:mikishanbara:20160224012210j:plain

 

f:id:mikishanbara:20160224012959j:plain

 

3週連続二見シーパラダイスの紙芝居が終わり
いろいろ勉強になり、かつ
アタマ全開で新作をつくり
ハイテンションで上演してきたあおりを食って

抜け殻状態になってしまいました。

脳内ハードディスクがカラカラと空回りして
どこにもアクセス不能状態で

はあああああああと、ため息連発。

仕事も早めに切り上げさせていただき
こういうときは存在の原点に帰ろう。と
たき火をしました。

f:id:mikishanbara:20160202033110j:plain

燃える炎を眺めていると 落ち着きます。
煩悩を燃やし尽くせ

f:id:mikishanbara:20160202051539j:plain

この女体像は死んだ親父の作品です。

焼き芋も焼きました。
煩悩は燃やし尽くせなかったけれど
美味しかったです。^^*

f:id:mikishanbara:20160202051712j:plain

とろとろでホクホクのお芋が焼けました。

f:id:mikishanbara:20160202052434j:plain

気持ち切り替えて
また新たなるステージに向けて歩き出そう!
煩悩にまみれてもいいじゃないか☆

 

 

イスタンブール 11ケ月前 

イスタンブール自爆テロがあり
10人の観光客が亡くなった。
2015年の2月、今から11ヵ月前にぼくらがいた場所。

f:id:mikishanbara:20150209214344j:plain

これがテロが起こるわずか1分前の写真。と言ってもおかしくない。

f:id:mikishanbara:20150209220807j:plain

ミゾレ混じりの冷たい雨が降ったりやんだり。
気温は摂氏2度。

ぼくらはブルーモスクの見学を終えて

f:id:mikishanbara:20150209214054j:plain

広場を歩いていた。
この土産物屋さんもきっと数日前までは
こうやって営業していたに違いない。

f:id:mikishanbara:20150209214409j:plain
この柵の向こう側が
テロのあった広場。
ガイドさんの説明を聞く観光客たち。

f:id:mikishanbara:20150209215307j:plain

寒いけれども広場では多くの人がくつろいでいた。

f:id:mikishanbara:20150209214532j:plain

平和な旅行の一コマが

f:id:mikishanbara:20150209214542j:plain一瞬にして吹き飛んだ。

f:id:mikishanbara:20150209220723j:plain
10日間のツアーに
日本語の堪能なガイドさんも同行してくれた。
メフメットさんという30代の男性の方。

f:id:mikishanbara:20150210205307j:plain

行く先々で歴史や見どころなどをくわしく説明してくれた。

質問したらちゃんと日本語で納得のゆく答えが返ってきた。
本業はカッパドキア地下都市を研究している学者さんだ。
物静かでジェントルな方だった。
去年子供が生まれたばかりだと言っていた。
トルコの物価は高くで生活も大変だ、と言っていた。

このテロでトルコの観光業は息の根を止められたように思う。

f:id:mikishanbara:20150209215409j:plain

カッパドキアの絨毯屋さんは
90年代に湾岸戦争が起こった時には
観光客は全く来なくなった。
イラクとトルコは離れているのに、
トルコは全然平和なのに。
中東で何かあると観光客はぱたりと来なくなる。
と嘆いていた。

f:id:mikishanbara:20150209220050j:plain

自爆テロの実行犯はどういう気持ちなんだろう。
いくら過激思想に染まっていたとはいえ
狂信的で頭のイカれた連中とは
どうも思えなくて
どこにでもいる普通にまともに話の出来る人だったように思う。
でも、あるキーワードでスイッチが入ってしまうのではないのだろうか。

f:id:mikishanbara:20150209224657j:plain

それはナニ人だからとかナニ教徒とかでもなく
さっきまで普通に話していた人が
ある話に触れると、いきなりキレる。
こっちは地雷を踏んだように面食らう。
そんなdisった、つもりもないのに。

f:id:mikishanbara:20150209221435j:plain

日本人でもそういう人に会ったことあるし、
それのずううううっと延長線に自爆テロがあるんじゃないだろうか?
自爆テロの実行犯は
自分は崇高な使命を帯びていると考えているのだろう。
この自爆テロは聖なる戦いのためだと信じていないとできないだろう。
すごく心が純粋な人でもあると思う。

f:id:mikishanbara:20150209215347j:plain

テロとの戦い。テロは悪。と言うけれど
自爆テロの実行犯は
自分のことは決して「テロリスト」とは思っていないだろう。
自分の命より価値のある崇高な使命を帯びている、
と考えないと出来ないだろう。

テロリスト=悪って考えてる限り
きっと「テロとの戦い」は永遠に続くと思う。
戦争で儲けたいと思う人は
「テロとの戦い」が永遠に続いてほしいと
願っているようでもある。

f:id:mikishanbara:20150209221454j:plain


純粋さ。
これがキーワードなのかもしれない。
「テロとの戦い」を支持する人も
イスらミックステートを支持する人も
ある意味「純粋」「pure」なんだと思う。

戦争で儲けたいと思う「ある種の人々」が
善と悪を純粋に信じる人に
「こういう悪い奴がいるから撲滅しましょう」という
イベントを宣伝すると
純粋な人たちは「それはダメだ!やっちゃえ!」と
簡単に乗せられてしまう。

逆に言えば「○○国のこんなかわいそうな人を助けましょう」
「愛で地球を救いましょう」
っていうイベントにも
涙しながら寄付をするのと同じ人たちだとおもう。

人は純粋でいい人故、
殺してしまう、場合もあるって言う事か。

三日月と十字架

お店からバイクで家に帰る途中
坂道にある教会の前を通りがかった。
小学生の時に この近くに住んでいて
毎日この教会の前をとおって学校から帰ってきた。

f:id:mikishanbara:20151217185719j:plain

イルミネーションがきれいだったので
おもわず立ち止まって写真を撮った。
この教会の子も同級生だった。
今はどうしているのかな?
空を見上げると
十字架のとなりに三日月

f:id:mikishanbara:20151217185831j:plain

十字架と三日月が仲良く暮らせる世界が
きっと来ることを祈りました。

2015年を振り返った!

思い出すままに今年を振り返ってみよう

1月 広島のウパシクマの佐伯さんと
   奈良 大阪に 紙芝居ツアーにでかけた。

f:id:mikishanbara:20150112151311j:plain


2月 トルコに家族旅行にいった。

f:id:mikishanbara:20150208235215j:plain

3月 四日市 津 伊勢 と三重県3都市ツアー
   ギターのユ---ジくん別のライブで骨折

f:id:mikishanbara:20150314151816j:plain

5月 佐伯さんに誘われて
   東京に紙芝居に行った。

ドクトル梅津こと梅津和時さんがサックスを吹いてくれた。圧倒された。

f:id:mikishanbara:20150531182006j:plain

6月 佐伯さんに誘われて西日本ツアー
   シタール奏者の田中美彦さん タブラのりこさん
   ウパシクマのみなさんと
   広島otis!⇒島根⇒長崎⇒福岡ツアー

f:id:mikishanbara:20150619213704j:plain

7月  いろいろな「漬物もどき」を制作(笑)

f:id:mikishanbara:20150802123613j:plain

8月 ふくしまカミシバラープロジェクト始める 

   妹の一周忌 熊野の花火を打ち上げる

f:id:mikishanbara:20150818211938j:plain

9月   ふくしまのハッピーとみんなのハッピーをつなげる紙芝居プロジェクトの
   資金を集めるため 三重県各地で2か月で十数か所を紙芝居の公演。

f:id:mikishanbara:20150912095517j:plain

   実店舗 シャンバラ ときわ店 オープン

f:id:mikishanbara:20150929161852j:plain

10月―11月 皆様の募金で福島ツアーに行かせていただいた。
   きっずパーク、お寺、ライブハウス、保育園、神社のおまつり 民家 仮設住宅
   と4日4都市9公演を行う。走行距離1900km

f:id:mikishanbara:20151101144802j:plain


11月  2年ぶりのタイ仕入れツアー

f:id:mikishanbara:20151201074635j:plain

12月 55歳になった。
若いころから運動なんて全くしなかったのでもともと体力に自信もなかったから
今の方が運動しているので若い頃より疲れにくくなったと思う。
55歳になったからと言って特に思うのは年輪が増えたなあ、と思うくらいで
あとはえーっと、あまり何も思いませんでした。
記念に普段は買わないような一升瓶の焼酎を買いました。(笑)「れんと」
ふだんは紙パックの焼酎です。「博多の華」とか甲類乙類混入の「芋の舞」とか
美味しいかったです。あまりにおいしかったのでもう一本別の焼酎も買いました。
やっぱり一升瓶で飲む焼酎は最高ですね。

 

シャンバラ学校も復活!しかけたが、ならず。(笑)



こうやって振り返ってみると
遊んでばっかりのようですが、
この時間以外はほとんど仕事しています。(笑)
自分の場合、仕事と遊びの境界線がかなり低く設定しているので
仕事と言えどもあそんでるようにしか見えない部分もあるかもしれませんが、
自分でも仕事も遊びもひっくるめてすべて「趣味」と呼ぶことにしました。
しかし、趣味といえども もちろん楽しいですが
いろいろな問題点もたーくさんあり、
常に崖っぷちを歩いている気分でこの一年
特に後半は過ごして来ました。

 

旅はたくさん出来てよかったです。
とにかく移動が好きなので
移動していれば私はご機嫌です。(笑)
紙芝居もシャンバラも移動したいから始めたのです。

シャンバラをすればいろんな外国にいける、と思って始めました。
紙芝居はお金をかけないでいろんなところに旅行したい、と思って始めました。


これからの死ぬまでの数年から数十年の間。
わたしは出来る限りずーーと移動していくことにしています。
まだまだ地球も未踏の大陸があるので
ぜひとも少なくとも地球の全大陸(南極以外?)に足跡を残してから

次のフロンティア「あの世」に旅立とうと、
老後の設計も完璧です。(笑)

今年がいいとしとか、わるいとし、とか
そういう評価はいつのころからか
しなくなりました。
人様には「よいお歳を」といいますが、
まあそれはgood luckみたいな意味あいで使いますが

いい、とかわるい、とかいう評価にあまり意味がないような気がしてきたからです。
幸せとか不幸せも同じで
一見不幸な状況でもよくみたら幸せってそこらじゅうにあるのに
それを見つけられない事が不幸というのかもしれません。
人から見たら、えらいことやん、っていう状況でも
実は幸せの種っていっぱい転がっているんだ、と言うことに
気付きました。

ネコの表情や お花の美しさ すてきな音楽 青い空 だれかの笑顔
そして生きている。
もうそれだけでありがたく幸せである気がします。

幸せって「なる」ものでなく 「である」ものだと思います。
そうして、素晴らしい方々との出会いが更に幸せです。
周りの人はみなさんとても素敵な方ばかりで本当にありがたく幸せなことです。

たくさんの素晴らしい方に導かれて
たくさんの旅ができました。
カミシバラーとして少しは成長できたかな。とも思います。
シャンバラとしては足踏み状態がつづいていますが。

来年もまた、一歩ずつ、丁寧に、親切に きげんよく
進んでゆきます。

わたしと出会ったすべてのみなさまに
多大なる感謝 ありがとう! サンキュー!コプクンカップ!