バラバラな意味不明の0と1
いろいろなところにぼくらはいた。
ある時はお寺、とか
ある時はお店とか
インドとかタイとか海とか山とか都会とか
インターネットの中とか
そもそもインターネットの「実体」ってどこにあるんだろうか。
このページはどこにあるんだろうか。
この記事を描いてUPすると
どこかの国の
巨大な倉庫の巨大コンピューターに
記録されるのかな。
それとも地球をぐるぐる取り巻くインターネット層のようなものがあり
そこを人工衛星みたいに飛び交っているのだろうか。
無数の0と1が飛び交っているのだろうか。
ぼくらが「肉体」と呼んでいる「実体」はどこにあるんだろうか。
肉体が消滅したらぼくらも消えてしまうんだろうか。
インターネット上のデータを削除したら
削除されたデータは消えてしまうのだろうか?
消えたデータはどこに行くのだろうか?
バラバラな意味不明の0と1が
宇宙空間をただよっているのだろうか。
ぼくらも死んでしまえば無意味な0と1になるんだろうか。
ゼロって「無い」ことなのに
0と1が「ある」、っていうのはこれまたおかしいな。
ゼロっていう実体がある、わけないよな。
だってゼロなんだから。
バラバラな意味不明の1しか宇宙空間をただよう、わけないよな。
無数の0と1が飛び交う、わけないよな。
で、ぼくらの実体はどうなってしまうんだろう。
ゼロとイチで、できて「いる」のかな。
ぼくらが考えたこと、思った事、ぼくらがいたこと、
は、だれかの心の中に記憶されるのかな。
その記憶がどんどんと地層のように積み重なって
ぼくらの脳みそに蓄積されていくのかな。
そう考えてみると ばくらが生きていることも
まんざら無意味でもないような気がする。
散れない花 枯れた花
GWになると牡丹が咲きだす。
これは2013年4月24日の写真。
うちの牡丹はわりと下品に咲く。
新宿のスナックの、
美人だけれどガハハと笑う。
大酒飲みのホステスのようだ。
今は蕾が膨らんでいる
あっという間に咲いてあっという間に散って行く。
派手に短く。な花だ。
なかなか散らない花もある。
はやく散りたいのに時間をもてあまして
退屈していていろいろ気になって
でもめんどくさくもなってきて
でもすでにもう花でもないのに
長い時間をもてあましている
咲かないで枯れた花もあった。
その花の周りをよく見ると
小さな花がたくさん咲いていた。
どんな花もネコも愛おしいのは
すべてに自分の分身が宿っているからなのか。
すばらしいコンサートに行って
一体感を味わった時に
そこにいる観客すべてが自分だと思った。
演奏者もお客さんもすべてが自分の分身だと感じたとき。
自分と他人の境界線が限りなくゼロに近づいたときだった。
でもコンサートが終わってまた日常にもどったら
自分は自分、他人は他人。
そこはまるでカプセルホテル。
やはり皮膚、肉体という牢獄の中からは
死なない限り抜け出せないのか。
世界が全て敵にまわっても
信頼できる、味方になってくれる人が一人でもいれば
全然大丈夫だと思う。
その一人でも自分の味方になってくれるのだと思うと
その人のために生きて行ける
信頼できる人が多ければそれに越したこともないだろうが
たった一人で充分だと思う。
でも、そのひとり、すらも
いない人はつらいよね。
ぼくがなってあげる。なんて簡単な話じゃないからね。
でも、本当はいるんだよ。すでに。
ただ、その人が気づいてないだけで
信頼できる人は誰にでもいるんだよ。必ず。
もし、その人が誰かを信頼することができるならば。
春の写真
これは何年か前の春の写真です。
って書いても、
実は今年の写真です。
って書いても
あまり変わりませんね。
2012年の4月の写真です。
春になって空気がゆるくなって
少しほっとできますね。
ほっと、もできたりもしますが
気分が不安定になったりもしていました。
新芽の時期は
なんとなくもやもやとした気分になりますね。
桜を見てもいつもようにはしゃぐ気にもなりませんでした。
かといってずーんと重くなるのでもなく
ばくぜんとしたもやっと感に支配されていた気持ちです。
日々の雑事やいろいろな出来事をクリアしながら、ぼんやりとしている暇もなくて。
それがつらい、とかそういうのでもなくて
かといって、気分が昂揚することもなく
沈みがちな浮遊感がつづいていました。
だからどうなんだ?と自問すると
別に大したことはない。と自答します。
なので何事もあまり大したことはない。と
再び自答してみます。
足代清の世界2/油彩 陶芸
たくさんの油彩作品を描いていたのは
おそらく1950年代から70年代にかけてだと思う。
ぼくが子どものころは
茶色が主体のペインティングナイフでかきなぐったような作品が多かった。
母親と離婚してから
このようなシュールリアリズム的な作品に変わった。
子ども心に絵が変わったな。と思った。
でもそれっきりほとんど会うこともなくなってしまったので
どういう絵を描いていたのかわからない。
うちにあるのはこれ一枚だ。
あとの絵は散逸してしまって所在不明になっている。
足代が死ぬ直前にくれたのが
この花器である。
「煉獄」というタイトルだそうだ。
60代もころは油絵よりも
陶芸を多く制作していた。
陶板作品も数多く制作していたのだが
散逸して所在不明が多い。
彼の人生も「煉獄」のようなものだったのだろうか?
こちらはたこつぼ?
タイトル不明
煉獄よりこちらの方が気に入っている。
足代と過ごしたのは幼少期の10年間と晩年の数年間のみであるので
作品についてはほとんどわからない。
今の自分からみると
こういうのは絶対に作れない、と思うし、
もっと生前に評価されてもよかったのではないかと思う。
大きな絵を描いていたのは
中央展を目指していたのだが
それもかなわなかったようだ。
死後、一年くらい経って
叔母が足代清の展覧会を開いてくれて
その時にご縁のある方に作品を貰っていただき
今は手元にはスケッチブックと数点の作品しか残っていない。
足代清の世界
2月24日は私の父親の足代清(あじろきよし)の命日です。
先日、引出しの中からこんなものがでてきました。
あ、これはUPしろ、ということだな(笑)
と思い UPしました。
晩年父親は切り絵をずっとやっていました。
こういうハガキセットまで作って売っていました。
あまり売れなかったようですが。(笑)
切り絵だけでなく
油彩、水彩、彫刻、陶芸 と幅広く制作していました。
ぼくの子どもの頃は
サントリーレッドを飲みながら
狭い家で100号くらいのでかい絵を描いていました。
油絵の油の匂いを覚えています。
10歳の時に離婚して親父は家を出て行きました。
再婚してぼくの腹違いの妹が生まれました。
それから数年に一度くらいしか会えなかったのですが
何十年か経って
オヤジの奥さんが亡くなり
奥さんの葬式でぼくが遺影を持ちました。
それから、また交流が復活し、
死ぬ前の5年間くらいは
オヤジの主催する絵画教室に通ったりしていました。
自分で「作家 足代清先生」って書いてるし。
死ぬ一ヶ月前に 経営していた
ちいさな工房をたたみ、すべてを整理して
ぼくに「最高傑作」という陶芸作品を何点かくれました。
18年前の今日 朝方、トイレに立ったその時に
玄関先で眠るように死にました。
葬式は悲しいというよりも
悲しすぎて却って嬉しい。と言った感じでした。
なんかよかった、よかった。と思いました。
3日3晩酒を飲んで泣きながらどんちゃん騒ぎでした。
めっちゃ楽しい葬式でした。
初めての孫が生まれるわずか一ヶ月前でした。
一か月後、ぼくは父親になったのですが
生まれたての赤ん坊の顔を見て
ユキちゃんと
「足代にそっくり(笑)」と驚きました。
足代も死に
妹も死にました。
ぼくらもいつかは死にます。
でも死ぬことは終わりではないので
ただ、それは現象なんだな。と思います。
オヤジの粒子の一部は相変わらずここらへんにいるしね☆
炎
3週連続二見シーパラダイスの紙芝居が終わり
いろいろ勉強になり、かつ
アタマ全開で新作をつくり
ハイテンションで上演してきたあおりを食って
抜け殻状態になってしまいました。
脳内ハードディスクがカラカラと空回りして
どこにもアクセス不能状態で
はあああああああと、ため息連発。
仕事も早めに切り上げさせていただき
こういうときは存在の原点に帰ろう。と
たき火をしました。
燃える炎を眺めていると 落ち着きます。
煩悩を燃やし尽くせ
この女体像は死んだ親父の作品です。
焼き芋も焼きました。
煩悩は燃やし尽くせなかったけれど
美味しかったです。^^*
とろとろでホクホクのお芋が焼けました。
気持ち切り替えて
また新たなるステージに向けて歩き出そう!
煩悩にまみれてもいいじゃないか☆